温   泉   記

予讃線 下灘駅 周辺

写真を撮っていると、撮りたい風景があるけど、遠くて行けないなと思う事がある。

もう何年も前から、休暇の時間を考えて、地図を眺めて、やっぱり無理だなーと諦めていた
場所がある。愛媛県、予讃線。青春18きっぷポスターで有名なあの場所。
いつも無理だ無理だと思っていた場所に行くことができた。
今日はその話を少ししてみたいと思う。
f0052569_925941.jpg




私が最近、少し知ったのは、故、村山聖。プロ棋士。29歳の人生だった。

あの羽生善治さんとも互角に戦った伝説の棋士。
5歳のとき、腎臓の難病「ネフローゼ症候群」にかかっていることが発覚、5年生まで入院し、院内学級で過ごす。ともに入院していた子が亡くなることもあったという。
小さい時から周りの人が亡くなるのを多く見てきたのだろう。

入院中に父から将棋を教わり、名人になりたいという目標を持つ。
将棋の世界を調べてみるとものすごく厳しい世界であると
わかる。1年間でプロになれるのはわずか4人。

村山聖は「西の怪童」と呼ばれ圧倒的強さで勝ち進み、羽生と対決する。

プロ棋士になるには師匠を持たねばならない。
村山の師匠となる森信雄のもとへ母は聖を連れてった。当時30歳の森は、「一目で気に入った。好きなタイプ。普通の子ではない。」と思い聖を絶賛したという余談だが、村山は暑がりなのか、真冬なのに裸足でズックを履いてワイシャツを腕まくりしていたと伝えられている。

大阪で単身で暮らす病身の村山を、師匠の森が同居して親身な世話をして支えた。村山はしょっちゅう熱を出し、「40度になったら死にます」と言っていたが、実際に41度であっても森は「40度になってない。大丈夫や。」と答えて村山を安心させた。村山の体調が悪いとき、森はお使いにも出かけた。村山が少女漫画をたくさん求めると、どこで売っているかさえわからなかった森が、あちこちの書店へ奔走した。「どちらが師匠かわからない」ということで知られる逸話。

体調不良で不戦敗となり同世代から遅れをとることもあった。
1989年9月6日、若獅子戦決勝で羽生に敗れる。その6日後のC級1組順位戦でも
羽生に敗れたが、感想戦が終わって羽生が席を立つ時、「がんばって昇級してください」と声をかけたという。

翌年、1990年10月1日、第13回若獅子戦決勝で佐藤康光を破り、棋戦初優勝。

天才羽生善治も「強烈な存在だったのは間違いない」と語る。

村山の目標は他の多くの棋士と同じく「名人」だったが、
10代の終わりで「名人になって早く将棋を辞めたい」とも
語っていた。自分の時間が残り少ないことの裏返しの言葉だとされている。

27歳で進行性の膀胱癌が発覚。
手術(1997年6月16日)は片方の腎臓と膀胱を摘出するという8時間半の
大手術であったが、休場することなく棋戦を戦い続けた。抗癌剤・放射線治療については、
脳に悪影響があって将棋に支障が出ては困るという理由で拒否していた。

1998年春、癌の再発・転移が見つかり、「1年間休戦し療養に専念」する旨を公式発表。
森は「1年休んだら弱くなるぞ」と言ったが、村山は「命のほうが大事ですから」と答え、
森は「変わったな」と思ったという。1998年3月の最後の対局を5戦全勝で終えて
将棋対局の場から離れ、そして、A級復帰祝賀会が村山最後の表舞台となった。

1998年版「将棋年鑑」のプロフィールでは、「今年の目標は?」との項目に「生きる」と書き残している。

生前、周囲から不潔と言われても、爪や髪も生きているからとなかなか切らなかったそうです。



命を燃やす生き方、そういう懸命に生きたすごい人間がいたと知って
がーんときました。
映画では弟子仲間と将棋を指している時、会話をしているシーンがありますが、
会話を遮るように「そんなことより、今、僕たちが考えなきゃいけないのは次の一手です」

ダメだったら次にすればいいという事もありますが、次がない人間には
公式試合でなくても全てに全力だった。

それでいて対局で勝つという事は相手を傷つけてしまうと
気にしていたという。
そして貧しい国の子たちに寄付もよくしていたという。


私たちは夜中ずっと運転をして、予讃線・下灘駅へ。愛媛のカメラマン鈴木さんと
午前四時に待ち合わせました。
撮影地点はグーグルアースである程度絞り込んでいましたが、
あの場所は前もって昼間にある程度時間をかけて
ロケハンしていないとたどり着けない場所だと思いました^^;

予讃線、鉄の写真。鉄は企画もののフォトコンなら良いのかもしれませんが
鉄の要素が強ければ美術展ではまったく評価されない。
そういう写真かなと思ってます。
でもその場所からその風景を見てみたいし、
写真も撮りたいし自分がそう思うのだからしょうがない。

予讃線と言えば下灘駅が1番有名だと思いますが
私が撮りたかったのは下灘駅ではなかった。

キチンとしたのが1枚撮れれば良い。それで満足。
時間は早朝でも夕方でも左右どちらかが影になる場所。
正午近くが順光となる。

不眠不休のまま車で行けるところまで車で行き、途中から
山道を歩き、たどり着いた場所から見た
景色は、高く、青く、広い海が待っていました。
そして炎天下の中、日影がない場所で鉄をひたすら待ちました。

すると、さぁ、いよいよ鉄が来るという時間に
携帯が鳴りまくるんですw なんだろと
携帯を見てみると、「車が邪魔になっているからすぐに移動させたほうがいい」
との連絡。
今まさに列車が来るというところで撮影を止めて、車を止めた場所までダッシュ。
車を停めた場所まで走っている時、列車が通り過ぎていく音が聞こえました^^;

なんたることかw一度車を絶対に邪魔にならない様に、車を止めている町内の方に
直接この場所に車を止めて良いかどうかを確認しに行って、快くOKしてもらい
さぁ、もう一回、山道を行こう。

待つこと一時間、列車が来ました!
ところが何?!この列車の色は?!撮りたい色の
列車じゃない!・・・・・・

そんな事を繰り返してすっかり腕が日焼けして。

撮った一枚がこれです。

あのね、この写真は海の間隔と空の間隔の比率が大事だと思うわけです。
比率は撮り方でどうにでもなります。
ここ、こだわったところね。
f0052569_10331788.jpg


こちらは下灘駅。早朝から多くのカメラマンさんが
訪れていました。
f0052569_10365866.jpg

撮り終わった頃には、かなり疲れ切っていました。
それでも撮りたかった風景が撮れて良かったです。





f0052569_22161616.jpg

[PR]
by hidetatu32jp | 2017-08-16 10:45 | Comments(6)
Commented by you-zooo at 2017-08-16 21:07
悪魔みたいな電話だったんですね。
名刺を渡してなかったら・・・名刺を人目に見えるように置いてなかったら・・・悪魔の電話は無かったでしょうね。
思い出なんてそんなものですよ。
あ~びっくりした。あの時眠気がぶっ飛んだ人がもう一人(笑)
携帯№教えてなかったら連絡も取れなかったんですけどね。
Commented by hidetatu32jp at 2017-08-17 06:03
you-zoooさん

いやーあの方、かなり怒っておられたみたいで、、
連絡いただいて車両を持っていかれないでよかったです!
何から何まで助けていただいてありがとうございました!
良い思い出ができました^^
Commented by てっちぃ at 2017-08-17 08:40 x
写真といいますか、作品としての素晴らしさは勿論のこと、この一枚へのストーリーがたまらなく素敵です。
Commented by hidetatu32jp at 2017-08-17 19:37
てっちいさん
コメントありがとうございます。
村山さんを知れば知るほど(伝聞ですが)好きになってしまいます。
村山さんが大阪で下宿していた部屋など当時のまま
残されていて入れたりもするらしいのです
いつか行きたいなと。まるでアニメの聖地巡りみたいですねw
Commented by kirafune at 2017-09-11 20:09
相変わらず、すばらしいストーリー。
すばらしい写真ですね。
村山さんのいいお話が聞けました。
Commented by hidetatu32jp at 2017-09-16 15:39
kirafuneさん、ありがとうございます。
いろんな、数え切れない良い写真がある中で
自分が好きな写真が撮れてよかったです☺️
またよろしくお願いします。